特集記事丹地陽子 インタビュー

その絵を書店で見ないときはないというくらい、数多くの書籍装画を手掛ける丹地陽子。静謐で情緒深い絵から、コミックタッチの元気な絵まで絵柄も幅広く、さらにtumblrやpixivでも常に実験的なイラスト作品を発表している。今回は丹地陽子が絵を発表し始めた時期のことから、絵の仕事を手掛けるようになったきっかけ、将来の展望まで幅広くお話を聞いて、その魅力に迫った。

 

──絵の仕事を始めた初期の頃の、イラストの内容や依頼方法などについて聞かせてください。

丹 一番最初の頃は雑誌「MDN」で仕事をしていました。コラムや、特集ページのカットを描いていました。あとwebデザイナーの人が本を出すときに、その本の表紙を描いたり、雑誌「コミッカーズ」のピンナップもわりと初期の仕事でしたね。そうですね…その頃はHPを見てメールを送ってきてくれた感じでした。でも、HPを作ってすぐ依頼が来たわけではなくて、作ってもしばらくは全然反応がなかったと思います。そもそも来てくれる人もいなかったしHPを持っている人自体、当時はほとんどいなかったんですよ。ブログとかも無いし、みんな手打ちでHTMLを書いていた頃ですからね。

 

──あの頃にHPを持っている絵描きさんって、すごく限られていましたよね。

丹 そうですね、少なかったと思います。寺田克也さんとか凄く有名な方はいましたけど。もともとパソコン通信をやっていた人だとか、そういった趣味の流れでインターネットに来たりして、パソコンに慣れている人ばかりでしたね。

 

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◆HPを作ったきっかけ

 

──絵のお仕事を意識されて、HPを作ったんですか?

丹 いえ、実は猫の写真を人に見せるHPが作りたくて(笑)、自分でHTMLを覚えたんですよ。

 

──そうだったんですね。では描いている絵をサイトに載せていこうと思った動機は何だったんですか?

丹 仕事を意識していた訳ではなかったですね…。小さいペンタブレットを買いまして、文章を書かないので、人に見てもらえるものが、絵か猫の写真だったんです。それで見せたら意外と反応があったりして。

 

──その頃は今のようにSNSも無かったんでしょうか。

丹 なかったですね。3DCGとかをつくっている掲示板があって、そこで寺田さんや、高橋淳史さん(劇場版『青の祓魔師』の監督)とも知り合ったんです。チャットや掲示板など、わりと人が集まっている場所はあったんですけど、今みたいな感じではなかったですね。

 

──その頃はHPを見て仕事を頼もうっていう雰囲気はあんまり無かったんでしょうか。

丹 そうですね。たぶん編集の人も全然見てなかったと思います。「MDN」はコンピューターの雑誌だったので、そういう土壌があったんでしょうね。

 

──まだコミケとか、イベントで絵描きさんを探す方が多かったかもしれないですね。

丹 そうですね。たくさんの人が載っているイラストレーターの年鑑で探すとか。今みたいにPixivで探すとかそんな雰囲気ではなかったですね。最初は仕事が来ても次に繋がって広がるという感じではなくて、ぽつぽつと単発で依頼が来る感じでした。私もHPのデザインの仕事がメインで、時々絵の仕事をやっていたんです。

 

──絵の仕事を増やしていきたいと思ったときに、自分から積極的に行動したことはありましたか?

丹 持ち込みには行っていたんですけど、反応が良いわけではなくて。「じゃあファイル置いていってください」とか、もう向こうは、来たら見て、預かって…という流れが出来ていたんですね。だから持ち込みで仕事が増えたというわけでもなく…。ただ、ちょっと目につくイラストの仕事をすると、それを見て頼んでくれる人がいて、そこからちょっとずつ広がるというか。あの本の表紙の感じがいいと思います、と言われたりしました。

 

──初期の仕事で印象的だったことはありますか? 

丹 児童書は見てくれる人が多いんだなあと思いましたね。「サミー・キーズ」という、集英社さんから出た翻訳もののシリーズで4冊か5冊ほど描かせていただいたんですけど、それは見ている人が多かったです。もう10年前の話なんですけど、挿絵が多くて、描くのが遅かったのですごく怒られながらやりました (苦笑)。

 

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